コンタクト・メガネ時代
いつもメガネをかけている意識から離れることはなかった。
写真を撮られる時、出掛ける時、寝る時、起きた後、・・・
いつもメガネに手をかけようとしたり、探そうとしたり。
コンタクトも、装着していることを忘れることはなかった。
ゴロゴロ感、違和感が常にある。
炎症になったこともあった。
風でゴミが入らないようにいつも気をつけていた。
疲れている時の不自然な目の表情。
車に乗る時、映画を見る時、
メガネに問題ないか、ちゃんと見えているかどうか。
居酒屋でおしぼりもらった時、
メガネをはずして拭こうと手をやる。
コンタクトの時は、目の周辺だけ慎重に拭こうとする。
女性の場合、コンタクトしないと化粧できない。
お風呂はいつもぼやけた世界。人が判別できない。
ゴルフ場のお風呂から上がった時、
自分の着替えた服の置き場が分かりにくい。
裸眼の視力検査の時、
見える所までどんどん前へ進んで行く気恥ずかしさ。
いつも、いつも、目が悪いというコンプレックスがあった。
メガネやコンタクトが生活必需品という現実が続いた。
これら、ぜ〜〜〜んぶ、ほんとに全部、すべて解消された。
もう2ヶ月経った。
毎日味わっている。喜びと安心を。
いつまで近視と付き合いますか?
一切の解放をされたいと思いませんか?
私は、30才くらいまで、
10年間ほどコンタクトをしていました。
そこでコンタクトにまつわるエピソードをお話します。
日本のコンタクトレンズの歴史は、50年以上らしいです。
今から27年前までは、
硬いアクリル樹脂材質のハードコンタクトレンズのみでした。
人が起きている間使うのが精一杯で、
外すのを忘れ寝てしまうと、翌日は眼が真っ赤になり、
痛くてたまらない状態だったのです。
私が始めて使用したのは、19才の時で、ハードレンズでした。
大阪の会社で就職した年、
仕事中に突然、激痛が走ったこともありました。
目が痛くて開けられないのです。
同期の女子社員に、手を引いてもらって、
眼科まで連れて行ってもらったことがあります。
北浜のコテコテの金融ビジネス街で、
ちょっと目立ったカップルだったかもしれません。
目が開けられなくて治療ができないのを見かねて、看護士さんから、
「ちゃんと目を開けなさいっ!」
「子どもや、ないんやから!」
なんて怒られながら、大変な日があったことも、今では懐かしいです。
ほんとうに“激痛”だったんですが。。。
数日間、痛みや違和感が続きました。
長時間装着し続けた日が、連日のように続いたからでしょう。
あれから、コンタクトはいやでいやでしょうがなかったですね。
ほんとに、つらい1日でした。